昭和49年11月03日 特別奉修委員
御理解に信心する者は、これから先どの様な事が起きてきても、驚いてはならんぞと。驚かんというだけではなくて、お礼が言えれるような心の状態が開けてくる。これはもう理屈じゃないのです。今日は轟さんのご主人がリュウマチで、腰掛でいつも拝んでおられる方の奥さんですけれども。本当に親先生信心を頂かせて頂いてから、心の状態の開けてくることは不思議でたまらない。今日の御理解を頂とってしみじみそれを思うたというお届けがありましたんですけれど。
昨日自動車の運転ご主人を横へ乗せて、自分が自動車の運転をなさっておられた。どっか旗崎の辺りで一杯ダンプカーが来る。こちらにお爺さんが犬を大きな犬を散歩させておられるのでしょう。こうして引っ張って歩きよりなさるとが、大きな犬がひょこっとこちらへ来たんだそうですよね。それで犬を敷いちゃならんと思うて、前方がきよったけれども、こちらの方がハンドルを切ったち。そしたらご主人が横でもう怒られる事、怒られる事バサラカだそうですもん。
以前ならもう主人からあげん言われるなら、直ぐ私が逆上してからこう言うとですばってんね。もういっちょんそれがその穏やかでね。そればってんあぁたおかげ頂いてから、あの犬も敷かんですんだし、こちらに自動車にかすり傷もあらじゃったっじゃけん、もう有難いとじゃけん。そげんあぁた喧しゅう言いなさらんでん、有り難かっじゃないですか。そげなこつ言うて、おまえが死ぬるならいいばってんち言うてから、えらい喧しゅうおごりなさるぎなもん。
けれどもそん時の、自分の心の状態に不思議に思われたと言うのです。今日御理解を頂いてそれを思うたち言う。先ほ、佐田さんのお届けを聞かせていただきよったら、丁度今日は李さんが姉さんを、やっぱりあの孫さんち言うです姉さんが。あの嫁っていられるわけですこちらに。それで今日はお導きして一緒にお参りして見えとられるのですけども。何とはなしに微笑ましいですね。
何かこう韓国の方たちがね、金光様の信心の有難さが段々わかってきてです。しかも全然金光様を分からない人をね。もうとにかくお参りしてんの、有り難かという風に、言うておられるに違いない。この前も連れて参られたらしいんです。私が丁度留守でしたけど。今日だから二度目のお参りになっておられる。それで丁重にお礼を言われるんです。その姉さんと言う方もですね。信心によって救われていっておる者の姿。
それを今日も丁度佐田さん、会われたらもう私は今日の親先生の御理解頂きよってね、親先生と同じような心の状態に、私もなっとるとよち言うて話なさるぎなたい。しかしそら段々違いましょうばってんち、佐田さんが言われましたけどね。いや段々違わん同じこつだと思うたです。それが先日から病院で、難しい時には、必ず呼び出しが来るんです。それでこう腹を決めとかな、色々話がある時にはだから呼び出しが来ると、胸がドキドキドキドキしてね、もうどうにも出来じゃった。
所が昨日一昨日でしたか、あの呼ばれたち。そしたらそれがね可笑しゅうして、可笑しゅうして応えんち言うわけです。今日親先生がああいう難儀な時にも、可笑しゅうして応えじゃったと言われたが、私の気持ちもそれじゃろと言われておる。私は同じだと思うですやっぱり。自分にどっからこの可笑しさが涌いてくるか分からんとです。そればってんそげな大事な事を、先生が今度私に言いなさるとにね。
ニコニコしたっちゃいかんけんで、えらい真剣な顔してから、お話を聞く事は聞きましたばってん、心の中は動揺する段じゃない。ほんに信心のない者ばかりはと思う心が、可笑しゅうしてたまらなかったち言う。私は信心させて頂いて、開けてくるというのは、そういう心だと思うですね。それでいてです例えば今日頂きますように、最後に頂く様に言うなら、親に孝行してじゃなくて、神様に孝行をして親に孝行をし。
そして神に孝行をして親に不孝をし、後に親に孝行をするという生き方を、身に付けていくならば、こらもう絶対それが頂けれると。例えばねただ自分自身の願い事だけで、一生懸命お参りしておるなら、やっぱり是だけお参りしよるのに、こう言う事が起こったと言うて、腹の立つ様な思いがしたり、驚いたりするでしょうけれどね。神様を中心に申し上げる信心から、私は本当の驚かんで済む信心。驚かんで済むのじゃない今私が皆さんに聞いて頂きたいのは、そういう時にお礼が言えれる様な心の状態。
今その李さんじゃないですけれどもね、もう本当にこういう大変なことを聞くのに、どうして、何か可笑しさが止まらないという感じだと言うんです。けれどもまあこげん時に、シレシレ笑うたっちゃいかんから、まぁ真面目な顔して聞かせて貰うたと言うておられるような、これはね理屈じゃないです。今朝私三時半、いつもここに出てくる。出てまいりましてお礼を済ませておったら、桜井先生が見えられました。
それで今お母さんがずっと具合が悪くて、今日じゃろか明日じゃろかと言う様な状態が、毎日続いておったんです。唐津におられるんですね、ご両親が。それで今電話が架かってから、大変まぁ、難しかろうごとあるから、お届けをしてくれという事であった。私がお届けをさせてもらいよりましたら、あそこの私たちの部屋の襖の引き手を頂くんですよ。だからははぁこれはお引取りを頂くなと思いました。そして頂く事が引いて開くと言う事を頂きました。開いて中に入ると。
これはまぁ私の部屋ですから、ここではもう一番まぁいうなら、尊いという言葉を使うなら、尊い部屋なんですよね。それで桜井先生が例えばあの部屋に、初めて私はあの部屋で、朝の三時半から人が入ってきてお届けをするようなことは初めてでしたが。もう本当に、心悸が満ちているような感じですからね、あの時は私の三時半の時は。そこでそういう尊い所へ導かれるとかいう、開かれる引いてそしてというわけなんです。
そして今日の御理解を頂いた途端に電話が架かってきてから、お国替えと言う事でした。丁度六時ちょっと前、五時四十何分かじゃったと思う。本当に驚く所かもう本当にお礼を申させて頂いた。昨日から今日にかけての御理解が、もう適切に私一人のためのような御理解で、もう本当に今も色々な事で、笑うてお届けされておる。一つも取り乱しておられない。勿論あれだけの信心が出来ておられますからね。いわゆる私は今日皆さんに分って貰いたい。
そういう時にお礼の言えれるような信心。それにはとにかく自分を中心じゃなくてね、矢張り神様を中心。氏子が神様本意になっておる時に、神様が氏子本位になって下さるようなおかげを頂くためにもね、またまさかの時又は驚いてはならんと仰る、その驚かにゃ普通で言うならば、おられない時に驚く所かね、お礼の言えれるような心の状態が開けてくるとするならね。
これが私は最高な信心によるおかげとは、そういうもんだと思うですね。病気が治りましたち言うなら、医者ででも治りよるじゃろもん。例えば困った問題でもさぁあの人に頼んでから解決したと言う様な事もあるじゃないですか。けれどもこういう心の状態だけは、信心頂かなければ開けないと言う事です。今今お参りしておられる轟さんが、ほんなら昨日の自動車のその事で、心のなかが穏やかであったと言う事。同時に李さんなんかは、いうならば異国の人。
日本人じゃないお方だけれども、信心が段々分かってきてから、皆さんも感じられるように最近はもう御理解を頂くとが、楽しゅうして有難うして応えんと言う様な状態ですね。そしてお届けなんかも、実に行き届いたお届けをなさいます、毎日最近そこから開けてくるものは、それこそもう胸の動悸が止まない様な事聞かせて頂いてもです。心の底から涌いてくるものは、何か可笑しゅうして、可笑しゅうして応えんと言った様なものだと。理屈じゃないです。そういうおかげの頂けれるのが、私は信心だと思うですね。
どうぞ。